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この原稿を書いているのが六日、原稿が載る日にはすでにいくつかの都市は緊急事態宣言が出た後だろう。
閉じた生活の始まり。 しかしここ数年壁とか分断とか人と人を遮断するような話が多かったけど、コロナはまるでその総仕上げみたいだな。 いやもう仕事にならずこもってる人も社会を守るために働いてる人も本当に大変だと思う。 でもいつか必ずこのパンデミック(世界的大流行)は終息し、人々は再びドアを開け、外に出てゆく。 人と人も国と国もまた手を取りあいつながりを取り戻す日が必ず来る。 でもドアを開けてそこに見る世界は今までの世界とは違うかもしれない。 今まであった職業が消え聞いたこともない職業が現れてるかもしれない。今までの価値や権威が新しいものに変わってるかもしれない。 そのためにもドアを閉じてる今こそ他の全てを開いておかないといけないと思う。 新しい技術や未来の可能性に目を開く、違う意見に心を開く、政府はお財布を開いて未来を生きてゆく人間を救わなければならない。 何より、自分が本当は何を欲しているのか? このままで良いのか? 閉じることを余儀なくされている時間は、自分自身に心を開く良いチャンスかもしれない。 そういえば一年前、どんな元号が良いか取材されて答えたのが「令和」ならぬ「全開」だった。 一年前が大昔のようだな。 中日新聞 夕刊 2020.4.13 掲載
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この前、あいちトリエンナーレの補助金不交付が決着したね。しかしあの騒ぎにはビックリしたなー。
一番ビックリしたのは「不快なものを見せるな」という意見が多かったこと。 あくまで自分の個人的なとらえ方だけど、ボクは美術館のこと「サファリ」だと思ってた。 つまりできるだけ野生のままを観る体験。 昔アフリカに行った時、なだらかなサバンナのそこかしこにヌーの死体が転がっていた。だけど誰も不快だから取り除けとは言わないだろう、それがありのままの姿だから。 人間て洞窟の壁画から始まりホントにいろんなものを作ってきた。 当然中には残酷だったり不安をあおったりするものもある。だけどそれも人間の創造の歴史の中で大切なピースなのだ。それは誰かの好き嫌いや多数決で簡単に決められるものじゃない。 美術館で出会えるのは、サファリで言えば象やライオンといった誰にでも分かるカッコいいものから、専門家にしか分からない貴重な種や進化の先端にいるものまでさまざまだ。 理解できないもの、不快なものもあるかもしれないけど目をそらすのはもったいない。 楽しい動物だけ見たい人はサーカスにいけばいい。優れた作品は混沌とした時代を絞るように、蒸留するように、一滴一滴生まれてくる。 今ボクが観たいのは、この災厄の日々から生まれる美しく獰猛な一枚だな。 中日新聞 夕刊 2020.4.6 掲載
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今、どのメディアも世界中からのコロナのニュースであふれてる。
医師たちの自らを元気づけるようなダンスや、皆が励ましあう様子など「人間ってやっぱりいいな」と思えるニュースの一方、買い占めやそれに伴う諍いなど、人の本性を暴くようなニュースも流れてくる。 そういえば昔「鬼か仏か?」みたいなテーマのマンガを描いた。食えない中年のミュージシャンが街頭でライブしながら「仏として死ぬか?鬼として生きるか?」を自問するマンガだった。 歌では食えない、もうこの歳では働き口もない。このまま真面目な良い人では生きられない、人を騙したり人から盗んだり、悪人になってでも生き抜くべきだろうか?みたいな短編だった。 日本人は震災の時でも暴動など起こらなかった一方で自殺者が多い。 鬼になって人を傷つけず、良い人のまま「仏として死ぬ」ことを選ぶ人が多いのかもしれない。なぜだろう? 良い人だという評判が他国より重要なのか? 豊かさに潰されて「死」に対する本能的な反発が薄れているのか? だいたいホントに身に危険が迫ったらどこまで「仏」でいられるだろう? ただの「トラブル嫌いの臆病」な自分はそんな時どうなるのか? このあとコロナがどんな苦難を強いるか見当もつかないが「鬼か仏か?」などという選択をつきつけられる場面だけはマジでご免だ。
中日新聞 夕刊 2020.3.30 掲載
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外出を控え、家でスマートフォンをいじってると九年前を思い出す。
原発事故の後、何がどうなってるのか心配で不安で、ツイッターで必死に手掛かりを探していた。
あの時はそんな中から何人かの信頼できそうな方たちに出会い、実際に福島でガイガーカウンターで放射線を計測するようなイベントに参加し、理解が進んで不安も減った。
そう、自分にとってこの世界の出来事は、無数のピースでできたジグソーパズルのようなもので、いろんな人のいろんな情報で組み立てられてゆく。 もちろんどのピースも完璧ではなくて、それぞれの凸凹を補いながら大きな完成図を想像するしかない。 そんな時に大切なのがジグソーパズルの端っこのピースのように、それを見つけると全体が組み立てやすくなるような専門家の情報だ。 九年前、自分にとっては何人かの信頼できる物理学者の方たちの情報がとても重要なピースだった。 そして今、あの時と同じように新型コロナウイルスのパズルの重要なピースをツイッターの中で探している。 まだまだ完成予想図には遠いけど、労を惜しまず発信してくれる医療関係の専門家の方たちの情報を頼りに、この疫病の行く先を、そこで自分は何をすべきかを探っている。専門家の皆さん、がんばってください! そして願わくば、完成するパズルがまずまずのものでありますように。 中日新聞 夕刊 2020.3. 23 掲載
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もう三十年以上前、弟の原作で「拍手貯金」というマンガを描いたのを思い出した。
主人公はしがないサラリーマンで、なにかと言うとすぐ拍手をする。 誰かにおめでたいことがあった時、誰かが頑張った時、とにかくちょっとしたことで人に拍手を送る。 そんな主人公が死ぬ時、誰もいないはずの病室に、今まで何十年にもわたって人に送った何倍もの拍手が、保険の満期のように男に還ってきて鳴り響くというようなマンガだった。 人が生きてゆくご褒美は、いろいろあって、その中の大切な一つが拍手じゃないかと思ったのだ。 思うに、人間は生まれる時に「母」という「世界」から切り離される。だからもう一度、「世界」と一体になりたいと願っている。 一体になれた!受け入れられた!と感じられるのが、愛であり尊敬であり喝采の「拍手」じゃないかと思うのだ。 だから拍手をもらうことは、生きる喜びに直接的につながってて、お金を通さない喜びの物々交換みたいなものだ。 ボクの経験上、拍手をもらう機会の多い役者さんやミュージシャンは、そんな喜びの源泉がはっきりしてて自分に正直でステキな方が多い。そしてまた生き様や芸術で多くの人に喜びを与える。 今、そんな方たちがコロナでピンチだ。 早く収まって皆が「貯めた」エネルギーを爆発させるステージを観てみたい。 中日新聞 夕刊 2020.3.16 掲載
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